花咲くころ

花見の季節と八重山

コロナ禍によってそのスタイルは変更を余儀なくされてはいるが桜が咲く今の時期、満開の桜の樹の下で酒を酌み交わし、盛り上がるというのは長年続いてきた日本人の習慣だと思う。

日本を代表する桜であるソメイヨシノはもともと一本の樹から株分けをしたものだから、同じ遺伝情報を持ち、各地に春を告げるように南から桜前線を形成して北上してゆく。

こうして寒い冬を越えて水ぬるむころ各地に春の到来を告げるように開花する桜は、潔い散り際の姿とともに日本人の心を代表するものとして根付いたのだろう。

 

 

一方で、八重山ではどうなのだろうか?

石垣島の場合、桜の樹はあるものの、ソメイヨシノではなくヒカンザクラと呼ばれる種類で咲く時期が一定ではない上、数もそう多くはない。なので特別に注目されるような存在でもなく季語として使用できるのかも怪しい。

従って本土のような花見の習慣はなく、この時期に外で飲食をしている姿は花見ではなく先祖の供養をする十六日祭で、場所は桜の樹の下ではなく墓の前である。

こうしたことからも、南北に長い日本の中で八重山は心情的にも、本土からはエキゾチックな魅力をもつミステリアスな地域であることを知る。

 

 

日本本土の桜に相当するものを考えるとすると、沖縄本島や八重山ではデイゴの花かな、と思う。

卒業式、入学式シーズンに真紅の花を咲かせるデイゴの花。淡いサクラに比べると、いかにも亜熱帯と思わせる派手な花だ。

またどんなに台風で痛めつけられても翌年は樹いっぱいの花を咲かせるデイゴの花は、情熱的に生き真っ赤な血を流しながら戦争の傷痕からたくましく立ち直る心意気を代表する花だともいえるだろう。

 

 

しかしながら、一時期はヒメコバチという蜂の一種により、島内にあるほとんどのデイゴの樹が枯れてしまったことがある。

現在は、対策もされ、この様に学校の周囲や役所などの公的な建物の周囲のデイゴの花は毎年、再び真紅を花をたくさん咲かせるようになったが心情を代表するばかりか自らも瀕死の状態から息を吹き返したりもしているから、単なるシンボルというよりも島民とともに生きている樹と言ったほうが正解なのだろう。

 

 

さあ、内地でサクラの花を見るにも、八重山でデイゴの花を見るも、寒すぎず、暑すぎず外出したくなる時期には変わりはありません。

花見に外出したときも、入学式でデイゴの咲く学校の門をくぐったときも、車椅子に乗って外出から戻ったときには「手であが~る」でタイヤの清掃は忘れずに。